インタビュー

インタビュー
変化を求めて破った殻 ソチ落選から北京まで挑戦し続けた8年の日々(2/2)
スピードスケート 髙木美帆選手
メンタル面の成長に繋がったデビット氏とのコーヒータイム

3個のメダルと4個のメダル。平昌大会と北京大会ではともにメダル獲得の期待に応えたが、スタートラインに立った時の心境は大きく違っていたという。
「負けられない、負けたくない、勝ちにいく、メダルを獲りにいく。そういう想いや責任感はあまり変わらなかったと思います。ただ、平昌ではまだ自分の中に安定しない部分があって、いつ調子が崩れてもおかしくないと感じながら、常に不安と戦っているような大会でしたね。
その平昌が終わってからは、自分のゴールをどこに設定したらいいのか悩む時期もあり、焦点を合わせた大会で結果を出せない苦しみを味わったり、コロナ禍で国際大会に出られなかったり、故障を抱えたり。北京までは紆余曲折がありながら、その都度スケートと向き合って、課題をクリアしてきた期間だったので、平昌の時のような不安はなく、(コンディションが万全でなくとも)『メダルを獲りにいく』と強い気持ちでスタートラインに立てました」
平昌のスタートラインで感じた不安が、どうやって強い気持ちへと変わっていったのか。その過程には、2015年から北京大会まで日本代表コーチを務めたヨハン・デビット氏との“コーヒータイム”が関わっているという。
内にこもって考えるタイプだという髙木選手。デビット氏は髙木選手の変化に気付くと「コーヒー?」と声を掛け、コーヒーを飲みながら会話をする時間を作ってくれたという。「トライ!」と促されながら英語での会話に挑戦。「言葉としては100%理解していないかもしれないけど、雰囲気やニュアンスを拾いながら会話は成立していました」。気が付けば、スケート以外の話もできる信頼関係が生まれていた。
「私はヨハンと出会って、技術以上にメンタル面でたくさん成長できたと思っています。不安になると考え過ぎてしまうので、『他の強豪選手たちを見ても、ここぞという大会を100%の状態で迎えられることは滅多にない。それでも強い気持ちで攻めているだろ』と散々言われましたし(笑)、その通りだとも思いました」
会話を重ねる中でたどり着いたのが、過去でもなく、未来でもない、今この瞬間に目を向けること。今できる全力を尽くした結果、北京大会での4つのメダル獲得に繋がった。
ソチ大会での落選から8年間、「スケートから目を背けたり、逃げたり、諦めたりしてはいけない」と走り続けた日々だった。同時に、なかなか正解が見つからないスケートの奥深さを感じた「面白い時期」でもあったという。そんな期間を経て、今はずっと張り詰めていた心を解き放ち、少し長めの充電期間を過ごしている。20年を超えたスケート追究の旅の続きが楽しみだ。
(当記事は2022年4月に新型コロナウイルス感染症対策を行った上で取材・撮影を行いました。)
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髙木 美帆たかぎ みほ
1994年5月22日、北海道生まれ。5歳からスケートを始めると、中学2年の頃から国内外のジュニア大会で優勝。2010年のバンクーバーオリンピックに日本スピードスケート史上最年少の15歳で日本代表に選ばれた。高校時代には世界ジュニアスピードスケート選手権大会で2年連続総合優勝、大学進学後は2013年のユニバーシアード冬季競技大会で金メダル(1000メートル)を獲得するも、翌年のソチオリンピックは代表選考に漏れた。2015年からワールドカップや世界選手権など国際大会でトップを争うようになり、2018年の平昌オリンピックでは金(団体追い抜き)・銀(1500メートル)・銅(1000メートル)と3種のメダルを獲得。日本選手団主将を務めた2022年の北京オリンピックでは1000メートルでの金メダルを含む4個のメダルを獲得。合計7個のオリンピックメダルは日本女子最多記録となった。
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