インタビュー

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無音の中で感覚を研ぎ澄ます…佐藤杏奈がデフリンピック金メダルに挑む理由
ユメミルノート vol.6|デフボウリング 佐藤杏奈選手
闘い抜くアスリートたちはこれまでにどんな夢を掲げ、叶えてきたのでしょう? そして、その夢のためにどのような努力をし、失敗や苦労を乗り越え、どんな人やものに支えられてきたのでしょうか。そんなアスリートの夢を紐解く連載「ユメミルノート by スポーツくじ」。第6回は、聴覚障がい者によるスポーツ「デフボウリング」の日本代表、佐藤杏奈選手が登場。
佐藤選手は全国ろうあ者体育大会のボウリング競技・女子個人戦で大会史上初の3連覇(2022年から2024年)を飾り、2024年には第10回アジア太平洋ろう者競技大会の個人種目で金メダル、ペア種目で銀メダルを獲得。まだ20歳の大学生ながら、デフボウリングの未来を背負う選手として注目されています。
2025年11月には、史上初の日本開催となる「東京2025デフリンピック」が控えています。その大舞台で金メダルを掲げるために、日々の練習に打ち込んでいる佐藤選手。デフリンピックで叶えたい大きな夢と、競技に向き合うなかで生まれた“もう一つの夢”、そしてスポーツくじの助成金についてもお話を伺いました。
「音のない世界」で戦うということ
生まれつき聴覚に重度の障がいがあった佐藤さんは、幼少時に「人工内耳」を付ける手術をしたことで、聞き取りや発声を身につけました。しかし、デフボウリングでは試合中、補聴器や人工内耳を外さなければならないルールがあり、完全な“無音”の状態で投球に臨むことになります。
「本当に何も聞こえない世界です。極端な話、すぐ隣でジェット機が飛んでいても気づかないくらい。試合の開始や終了も、音ではなく視覚的なサインで行われます。審判が手に持つ赤い旗の動きに合わせてプレーを進めたり止めたりするため、周囲の状況を常に目で追う注意力も必要になるんです」
練習前に人工内耳を外し、「何も聞こえない世界」で投球に臨む
音が聞こえないことによる困難は、フォームや投球中の感覚も左右します。「普通のボウリングでは、ボールが床に落ちた時の『ドン!』という音や、ピンに当たったときの音などで投球の良し悪しを判断します。でも私たちは、それが全く使えません。だから、自分の体の感覚に敏感でいることがとても大事になってくるんです」
レーンのオイルコンディションや、ボールの特性など、試合中は細かい環境の変化を見極める繊細さも求められます。佐藤選手は、足裏に伝わる振動やボールの回転の様子から状況を把握し、次の投球に活かしているといいます。 「感覚に頼るという意味では、すごく集中力のいるスポーツです。ある意味、ボウリングはメンタルスポーツとも言えますね」
父親と歩んだ“二人三脚”の道のり
佐藤選手がボウリングと出会ったのは小学6年生のときでした。きっかけはクリスマスプレゼント。家族から贈られたのは、紫とピンクのキラキラした可愛いボールでした。「そのボールがとにかく可愛くて。『ちょっと投げてみようかな』と思ったんです」
もともと物静かで、家ではひとりで絵を描いたり工作に没頭したりするタイプ。両親が趣味で楽しんでいたボウリングに連れて行っても、ゲームには参加せず漫画を読んで過ごしていたといいます。そんな彼女の世界が、自分専用のボールを手にした瞬間から変わっていきました。
「最初はスコアも出ないし、面白くなかったんです。でも、だんだんストライクが取れるようになってくると、『もっとできるようになりたい!』という気持ちが湧いてきました」
佐藤選手が競技を始めたきっかけは、クリスマスにプレゼントされたボール [写真]=本人提供
中学生になると、趣味の範囲を越えて本格的にボウリングに取り組むようになり、スコアも少しずつ上がっていきます。その過程をコーチとして支え、見守ってきたのが父親の昭仁さんでした。佐藤選手はこれまでプロのコーチに師事したことはなく、練習も、大会の振り返りも、すべて昭仁さんと二人三脚で行ってきました。
「ここが良くなかったんじゃないかとか、お互いに意見を出し合うんです。父にとっても、私と一緒に練習することで上達した部分はあったと思います。2人で一緒に成長してきた感じです」
中学生時代から人工内耳をつけ、健聴者の大会に参加していた佐藤選手。高校2年生のときには、東北総合体育大会(少年女子)で個人2位に入賞しました。同じ頃、佐藤選手は昭仁さんの友達から、デフボウリングの全国大会への出場を勧められます。「デフボウリングが何か、あまりわかっていなかった」といいますが、このデフボウリングとの出会いが、彼女にとってひとつの転機になりました。
世界に出たことで広がった視野
デフボウリングに挑戦した当初は、人工内耳を外した静寂の中でボールを投げることに苦労したといいます。しかし、2022年に初めて出場した第56回全国ろうあ者体育大会では、個人戦で優勝。それまでは試合の途中で諦めてしまうこともあった佐藤選手は、この優勝を「一度優勝できたのだから、これからも勝てるという自信に繋がりました」と振り返ります。
2022年、初めて参加した全国ろうあ者体育大会で優勝 [写真]=本人提供
高校3年生の時には、日本代表として初めて海外の舞台に立ちました。ドイツで行われた第5回世界デフボウリング選手権大会。この経験が、彼女の意識を大きく変えることになります。
親元を離れ、3週間という長期遠征。ホームシックにかかり、試合では周囲の選手のレベルに圧倒されて実力を発揮できなかったと振り返ります。「自分の投球ができなくて、すごく落ち込みました。でも、試合の最終日に父と電話で話したんです。『周りのことを考えず、自分の気持ちを大事にしなさい』という言葉で、少し気持ちを取り戻すことができて。最終日の団体戦では自分らしい投球ができました」
結果として、団体戦で銀メダルを獲得。メンタルの持ち方ひとつで、結果は大きく変わる──。その事実を体感した経験でもありました。
世界デフボウリング選手権では団体戦で銀メダルを獲得 [写真]=本人提供
「聞こえない」は「できない」じゃないことを伝えたい
佐藤選手は現在、東北福祉大学の2年生。教育学科の小学校・特別支援教育を専攻し、学業とボウリングの両立に励んでいます。聴覚支援学校の先生を目指し、教員免許の取得に向けた勉強にも余念がありません。
「私は小さい頃、耳が聞こえないことで、いろいろなことを諦めてしまっていました。でも今は、『聞こえない』は『できない』じゃない、と心から思えるようになったんです。それを、同じように障がいを持つ子どもたちに伝えていきたくて」
2025年6月、東京デフリンピックの日本代表に内定したことを東北福祉大学の千葉学長に報告 [写真]=東北福祉大学提供
そう考えるようになったのは、デフボウリングを通して、自分と同じように聴覚障がいがある仲間たちと出会った経験が大きかった、と佐藤さんは振り返ります。
「世界選手権大会に出るまでは、耳が聞こえない人と出会う機会が少なくて。ドイツで、同じように聴覚障がいのある選手たちと出会い、交流したことで、自分が見ていた世界って狭かったんだなとすごく思いました」
「小学校や中学校の頃は、周りに耳が聞こえない人がほとんどいなかったので、周囲の人に気を遣わせてしまうことがすごく嫌で。『私なんかのために』とネガティブに捉えがちでした。でも、デフボウリングを通じて、同じように耳が聞こえない選手たちと交流していくなかで、『もっと前向きに考えていいんだ』と思えるようになって。誰かが助けてくれたときも、『迷惑かけちゃった』ではなく、『ありがとう!』と素直に感謝できるようになったんです」
スポーツくじが支える東京2025デフリンピック
いよいよ目前に迫った「東京2025デフリンピック」。初めて日本で開催されるデフリンピックに出場する佐藤選手は、スポーツくじの助成金など、さまざまなサポートに支えられていることを実感しています。
「スポーツくじの助成金があることで、私たちは東京デフリンピックという大きな舞台に挑戦できます。環境を整えていただけるからこそ、安心して練習に打ち込めるものだと思っています。また、地域のスポーツや未来の選手も応援する(スポーツくじの)仕組みがすごく魅力的だなと感じました」
デフボウリングのように知名度が十分でない競技においては、選手が活動を続けていくこと自体が大きな挑戦でもあります。全国ろうあ者体育大会やデフリンピックのような舞台を目指すことが、佐藤選手にとって競技に打ち込む原動力になっています。
「大会に出場することは、単に自分の力を試すというだけではなくて、私の場合は『耳が聞こえない』という同じ境遇の仲間たちと出会って、励まし合える場にもなっています。そういった舞台に立てていること自体、本当にありがたいことですし、支えてくださっている方々への感謝の気持ちは常に忘れないようにしたいです」
デフリンピックで金メダルを目指す理由
佐藤選手は自国開催となるデフリンピックでの目標を、はっきり「金メダル」と口にします。「『金メダルを獲りたい』という強い気持ちで、日々のトレーニングにも気合が入っています。会場の様子や本番のレーンをイメージしながら、自分の感覚を研ぎ澄ませているところです」
その夢を叶えた姿を誰に見せたいかと聞くと、一番に「お父さん」と答えてくれました。「お父さん……を含めた家族全員。そして一緒に練習してくれている仲間や、支えてくださった方がたくさんいます。そういった方々に報告したいです」
コーチを務める父親の昭仁さんと「2人で一緒に成長してきた」という
最後に、彼女にとってデフリンピックとは何か、改めて聞きました。「音によるハンデを抱える私たちが、音に邪魔されずに正々堂々と競い合える場所。耳が聞こえない人たちが、本来の力を存分に発揮できる、本当に大切な舞台です」
「東京デフリンピックで金メダルを獲ることで、聴覚に障がいのある子どもたちに、夢や勇気を届けたいという夢があります。私自身がそうだったように、『聞こえない』ことで悩んでいる子どもたちに、頑張ればできると思ってもらいたい。子どもたちの未来を応援できる人になりたいです」
スポーツくじの収益は、デフスポーツの普及・発展のためにも役立てられています。
東京2025デフリンピックや全国ろうあ者体育大会の開催、デフ陸上、デフビーチバレーボールなどの各競技会の開催など、スポーツくじの助成金が広く役立てられており、デフスポーツで輝くアスリートたちを後押ししています。
スポーツくじの助成金は、デフスポーツをはじめとした日本のスポーツの国際競技力向上、地域におけるスポーツ環境の整備・充実など、スポーツの普及・振興のために役立てられています。
(取材:2025年8月)

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佐藤 杏奈さとう あんな
2005年10月6日、宮城県出身。中学1年生から本格的にボウリングを始める。生まれつき聴覚に重度の障がいがあるものの、人工内耳をつけて健聴者の大会に出場。高校1年時には東北総合体育大会で個人4位、翌年は2位に入賞した。その後デフボウリングに転向し、全国ろうあ者体育大会では2022年から3年連続優勝。2024年の第10回アジア太平洋ろう者競技大会では個人種目で金メダルに輝いた。日本代表として、東京2025デフリンピック出場が内定している。
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